端午の節句!ちまきと柏餅の違い!それぞれの由来や意味について

 

「こどもの日」「端午の節句」でも、関西と関東の文化の違いがあります。

 

それは、ちまきと柏餅です。

ちまきは関西、柏餅は関東、これが昔からの文化になっているようです。

 

今回は、どのような背景があるのか、それぞれの由来や意味について調べてみました。

 

このページでは、「ちまきの由来や意味について」「柏餅の由来や意味について」の順番でお伝えします。

 

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■ ちまきの由来や意味について

ちまきを5月5日に食べるようになったのは、中国の故事に由来します。

 

それは、次のようなお話になっています。

 

ちまきを食べるようになった中国のお話

今から、およそ2300年以上も前の話です。

 

中国に、屈原(くつげん)という詩人がいました。

 

彼は、国王の側近として仕える政治家でもありました。

 

屈原は、正義感が強く、愛国心が深いことから多くの人々から慕われていました。

 

しかしある時、屈原は陰謀によって失脚し、国を追われてしまうようになります。

 

やがて屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投げます。それは、5月5日のことでした。

 

人々は屈原の死を悲しみます。命日となった5月5日には、供物を投げて供養しました。

 

しかし供物は、屈原のもとに届く前に悪い龍に横取りされてしまうのです。

 

そこで、悪い龍に取られてしまわないようにと、ちまきの原型となるものが誕生します。

 

それは、供物のもち米を、龍が苦手だという楝樹(れんじゅ)の葉で包み、邪気を払う五色(赤・青・黄・白・黒)の糸で縛ったものです。

 

その供物は、無事に屈原のもとへ届くようになりました。

 

このお話が、ちまきの由来と意味になります。

 

のちのち、5月5日のちまきは災いを祓う風習となり、日本にも伝わってきたと言われています。

 

ちまきに結んだ赤・青・黄・白・黒の五色の糸は、子供が無事に育つようにとの魔よけの意味を込め、鯉のぼりの吹流しの色にもなっています

 

■ 柏餅の由来や意味について

 

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柏の葉で包んだお餅を食べるようになったのは、江戸時代に入ってからのことのようです。

 

柏の木は、江戸の武士にとっては縁起の良いものなのです。

 

「柏の木は、新しい芽が出ない限りは古い葉が落ちない」ということから、「子供が生まれるまでは親は死なない」となり、それが「家の系統が絶えない」という意味として考えられたのです。

 

これは、西は京都を中心とした公家社会、東は江戸を中心とした武家社会という違いも関係したように思われます。

 

現実的には、西の地域では、柏の葉が手に入らなかったので関西に柏餅が広がらなかったとされています。

 

柏の葉が手に入る地域だけで、柏餅が食べられるようになったのだと考えられています。

 

このような背景の名残として、関東では柏餅、関西ではちまきという文化になったようですね。

 

■ まとめ

今回は、「ちまきと柏餅の違い!それぞれの由来や意味について」お伝えしました。

 

ちまきを食べるようになったのは、中国のお話からでした。

柏餅には、江戸の武士たちの家系に対する思いが込められていました。

 

端午の節句のお菓子にも、深い歴史があったのですね。