七夕って、地域によって違いがありますよね。
7月に行う七夕もあれば、8月に行う七夕もあります。
今回のテーマは、七夕そうめんです。
住んでいる地域によっては、何それ?という感じのお話です。
七夕に、そうめんを食べる地域と食べない地域があるようです。
あなたの住んでいる地域は、どうですか?
食べるけど、何か意味があることまでは知らないという人もいらっしゃると思います。
このページでは、
七夕にそうめんを食べるようになった由来と
七夕にそうめんを食べる地域についてお伝えしていきます。
目次
■ 七夕にそうめんを食べる由来
七夕にそうめんを食べるようになった由来には、3つの説があります。
- 中国から渡ってきた時の索餅(さくべい)がもとになっているという説。
- そうめんを乞巧奠(きこうでん)の白い糸に見立てたという説。
- そうめんを天の川に見立てたという説。
以上の3つの説です。
中国から渡ってきた時の索餅(さくへい)とは?
7月7日に亡くなった皇帝の子どもが祟りとなってしまい、
そこに住む人々に災いをもたらしてしまったことで、
供え物に索餅(さくへい)が用いられたという話があります。
それをきっかけに、
7月7日に索餅を食べると1年間健康に暮らせるという風習が生まれたのです。
日本に七夕が伝わってきたころにも、
宮中行事の七夕で索餅を供えたという説があります。
このお話では、小麦を練って縄状にしたお菓子である索餅が、
のちのち、そうめんに変わったと言われています。
この説は、「全国乾麺協同組合連合会」が支持しています。
参考ページ
http://www.kanmen.com/topic/02_soumen.html
そうめんを乞巧奠(きこうでん)の白い糸に見立てたという説
中国から日本に伝わった七夕は、
もともと乞巧奠(きこうでん)という祭りでした。
それは、はた織り技術の向上を願う祭りです。
中国の乞巧奠(きこうでん)には、7本の針の穴に糸を通し、
捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈るという儀式があります。
その糸に見立てて、そうめんを食べるようになったのではないかということです。
そうめんを天の川に見立てたという説
こちらの説は、とてもシンプルなお話です。
そうめんの見た目が天の川に似ている。
それで七夕に、そうめんを食べるようになったというものです。
■ 七夕にそうめんを食べる地域
七夕にそうめんを食べる地域と食べない地域の細かい分布図は見当たりません。
しかし、関東から北、東北、北海道の一部で、七夕にそうめんを食べる風習があるようです。逆に西日本には、七夕にそうめんを食べる風習は見られないようです。
他に七夕で食べるものとして話題になるのは、
「七夕ほうとう」と「みょうが饅頭」です。
七夕ほうとうは長野県のもの、みょうが饅頭は熊本県のものです。
七夕ほうとうを食べるのは、長野県松本市の野溝という地域の風習です。
旧暦の七夕に「ほうとう」を食べるそうです。
この松本のほうとうは、あんこで絡め、少し冷やして食べるものです。
山梨県のほうとうとは違うタイプです。
みょうが饅頭は、熊本県の宇城や八代地方で初夏に一般家庭で食べられる郷土菓子です。
松本のほうとうのように、
七夕に食べるというお話は紹介されているサイトは見つかりません。
こちらは、情報が交錯しているのかもしれません。
■ まとめ
そうめんを食べて、病気をしないように願うというのは、
どれくらいの人が意識しているんでしょうか。
お話としては、7月7日に索餅を食べると1年間健康に暮らせるという風習は、
無病息災を願って食べるという意味では日本人にはしっくりきますね。